完璧なシドニー
昨晩、小さかった頃の娘の夢をみました。
抱っこして、ギュッとすると弾けるように笑っていました。
その頃、家には初代のキャトルドッグ、シドニーがいました。
シドニーです。優しいけど強い女の子でした。
まゆを自分の子供だと思っている節があり、誇り高いお母さんぶりでした。
夢に出てきたような小さな娘には口のなかに手を突っ込まれても耐えていました。
娘が大きくなった、シドニー晩年の頃は、通りすぎるとき澄ました顔で足を踏んでいました。
年齢で関わり方を変えていたのでした。
最期の、さよならの時も完璧でした。
初秋の、まだ夏の名残のある庭で、シドニーは眠れぬ夜を明かしました。
娘が傍によって、話しかけました。
「学校から戻るまで待っててね」
シドニーは、わかった、と言ったみたいでした。
その日の夜、娘としっかり別れ、もっとも愛した夫の胸のなかで息をひきとりました。
なぜなんでしょう?みんなそうなんでしょうか?
あまりにも完璧な子だったので、私も、家族たちも、シドニーの細かなことが思い出せないのです。
いなくなった衝撃がいまも続いていて、それが邪魔して思い出せないのです。
2年ののち、バジルを迎え入れるときも、私たちは必死でシドニーの面影をそのなかに探しました。
2頭いた子犬のうち、バジルを迎え入れたのは、ひとえにバジルの顔立ちなかにシドニーを見た気がしたからです。
しかし、そうは問屋がおろさなかった。
性格がこうも違えば顔も違ってくるのだとは知らなかったのです。
完璧なシドニーは、たやすく誰かに投影なんてさせてくれない。
しっかりバジルと向き合って暮らしなさい、と教えてくれています。
小さな娘とシドニー
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